3人のアメリカ人上司について。アメリカで働くということ。#002

アメリカで4回の転職を経験しています。今回は、忘れがたい3人のアメリカ人男性上司のお話です。登場人物は全て仮名です。
コントロールフリークなケビン
最初の上司は、1回目の転職先の会社の上司ケビンでした。彼は友人の友人という縁で知り合い、転職活動していた私に声をかけてくれました。
彼は新規プロジェクトの立ち上げで助手を探していて、以前から私のことを気にかけてくれたようです。友だちの紹介ということもあり、遠慮もありましたが、スイートな人でした… 入社するまでは!
ケビンは、とても厳しい上司でした。
「ここは日本の会社ではない。日本の常識は通じない」と、勤務態度からメールでの言葉遣い、服装まで細かく指導が入りました。いわゆる、コントロールフリークだったと思います。
たとえば、風邪薬をデスクの上に置いていると、「オフィスで薬なんて飲むな。人に弱みを見せてはいけない」などと言い、体調が悪く「休みたい」と連絡すると、「健康管理が行き届いていない」と注意されました。
私だけではなく、他の同僚に対しても厳しかったです。うわさ話はご法度、会社や社長の悪口を小耳にはさむと、「じゃあ、君はどのぐらいすごいんだい」と面と向かって言います。
彼の下で働いていたのは、インド人女性、バングラディッシュ男性、そして日本人の私でした。他の部署から「大人しい移民を都合よく使っているように見えるけど…」と心配されたりもしましたが、そういう印象を彼から感じることは一度もありませんでした。
自分の部下を守るために、厳しくしていたのかもしれません。なまりのある英語をバカにしたこともありませんし、部下の意見をよく聞いてくれたりしました。
また、彼と私は食べ物の好みが似ていたことから、よく一緒にランチに出かけました。
気さくで仕事のノウハウをあれこれ教えてくれたおかげで、その後の転職がうまくいったのだと思います。
入社して6ヶ月、9.11が起こりました。その影響による業績悪化で、多くの社員が解雇されました。進行中のプロジェクトも中止となり、バングラディッシュ人の同僚が解雇され、私もいつどうなるかわからない状態になりました。
「早く新しい会社を見つけた方がいい」との助言もあって、私は転職することにしました。ケビンは喜んで送り出してくれました。しかし、新しい会社になじめず悩んでいることを知って、「戻ってこい」と言ってくれたのもケビンでした。
この時ウツになりかけていたので、いろいろと相談に乗ってもらい救われました。
アメリカの会社で働くことを経験させてくれたこと。仕事を教えてくれたこと。復職後、2年も働かせてくれたこと。ケビンには感謝してもしきれません。
その後、15年間の会社員生活から現在にいたるまで、一度も病欠したことがないのは、彼の薫陶を受けたからかもしれません。
金髪碧眼の泣き虫ディック
新しい会社は、日本に本社を置く有名企業で、配属されたのは、今まで経験したことのない技術系でした。畑違いの私を採用することに、上司は戸惑いがあったと思います。以前の会社は零細企業でしたので、有名企業というだけの安定感は魅力に見え、「採用してくれ!」という私のアピールに圧倒されたのかもしれません。
ディックは、「アメリカ人を想像してみ」と言ったら、だれもが思い描くような典型的なアメリカ人でした。背が高く金髪に青い目。英語の教科書に出てくるような人です。
真面目な人柄でとくに面白みはなく、時には部下からバカにされるようなところがありました。大所帯の部署で部下の管理に苦労していたようです。
ディックに「採用して良かった」と思ってもらえるように、一生懸命働く決心をしました。あまり得意ではない技術系の本を読んだり、遅くまで残って仕事することもありました。
同僚のほとんどが理系卒の技術者で、どちらかと言うと文系の私は、同僚からよく思われていないだろうな、という印象はありました。質問すると露骨にいやな顔をされたり。そうですよね…
ディックが他の部下を注意する時、「彼女を見ろ、技術系でもないのに頑張っているではないか」と私の名前をあげるようになり、「フェアじゃない」とか、「できているのでは」と疑うようなことを言われることもありました。
ディックにほめられると嬉しかったのは事実です。私を「優秀社員」として表彰してくれた時は、素直に嬉しくて、一方同僚の反応は冷ややかでした。仕事ができないのに優秀社員なのですから、当然のリアクションだったと思います。
安定していると思った大手企業にも、リーマンショックの波が押し寄せ、一人二人と同僚が解雇されていきました。その度に、ディックは「申し訳ない」と頭を下げ、みんなの前で涙を流しました。
再雇用が難しい時期に仲間を解雇した、とディックを責める同僚もいました。
「上司をどう良く見せるか」--- これがアメリカでの働き方であると言えます。日本ではあまり受け入れられない考え方ですが、上司がどんな人間であれ、手柄を献上するつもりで部下は働くものである、と私は教わりました。
これは終身雇用という働き方に見られる忠誠心とは一線を画していると思います。
アメリカではチャンスがあれば簡単に転職します。そして転職にする際には、採用する側が前職に身元照会をする手順があるのです。
前の上司が「〇〇はいい社員です」と言ってくれるかどうか、それはその人が上司とどんな関係を築いたかによります。
ディックの元で、5年余り、働きました。次の会社は元同僚の紹介で、これまでのどの会社よりも裕福な会社でした。目の前で人が解雇されていく衝撃、いつか自分も解雇されるのではという不安にもう耐えられませんでした。新しい会社からは、かなりの高額給与を提示されました。
「辞めることにします」と言うと、ディックの目からポロポロと涙がこぼれ落ちました。動揺しました。泣き虫なのは知っていましたが、私のために泣くととは思ってもいなかったので。
人員削減をしていたから、むしろ退職を喜んでもらえると思っていました。
彼は机の中から手紙を出し、私に渡しました。それは、私が会社の面接が終わった後に送った「サンキューレター」でした。
「今まで多くの人と働いてきたけど、サンキューレターは初めてだった」と言いました。
ディックから直接なにかを学んだわけではありませんでしたが、ディックに認めてもらおうと一生懸命になれたことは、結果的に自分にとっての財産になりました。ここでの経験が次の転職に結びついたんだと思います。
なんてガテンな職場なんだ!
次の会社 -- 私にとってはアメリカでの最後の会社 -- は、名前をあげれば誰もが知っている大企業でした。しかし私が配属された部署は、男ばかりの技術者集団で「クサイ、キタナイ、コワイ」の3Kでした。
「ザ・ソプラノズ」というHBOのドラマがあります。ニュージャージーのマフィアたちを描いたリアルなフィクションですが、同僚の話し方が「ザ・ソプラノズ」に登場するマフィアそっくりで、初対面から恐怖心を抱いてしまいました。
同僚のガテンなノリも苦手で、大きな声で下品なジョークを飛ばし、職場にふさわしくない乱暴な言葉遣いも許しがたかったです。理不尽な上下関係や性差別もありました。
会話に入れず、冷えた視線をつい送ってしまう私に「悪いね」と言いつつ悪びれない態度なのもイラッとしました。
ガテンな職場でありながら、私の上司ニールは紳士で、おだやかで、優しい人柄の男性でした。愛妻家で、家には保護犬や保護猫が何匹もいて、「昨日妻が保護した子、やれやれ」と言いながら嬉しそうにスマホの画面を見せてくれました。
私を社員に紹介する際、ニールは「お前たちには絶対出来ないことをしてくれるんだから大切にしろ」と言ってくれました。同僚からは距離を置かれましたが、最後まで私は大切にされたと思います。
さむ〜い親父ギャグで冗談を言うこともありましたが、彼がいると職場に笑いが耐えませんでした。同僚の下ネタジョークとは違い、品がありました。
勤務時間が不規則で、体力的にかなりきつい仕事でしたので、いつも案じてくれたのは嬉しかったです。
一年に一回のレビューでは、なんらかの昇給・賞与があり、ていねいなフィードバックのために時間を割いてくれました。私だけが特別にというわけではなく、全員にそうしていました。
だから、ニールが定年を迎え、会社を去ると知った時、本当に悲しかったです。彼のフェアウエルパティで日本の高級ウイスキーをプレゼントしました。
後任の上司は次から次へと改革をする人で、職場は軍隊のようになってしまいました。
体力的に限界を迎えていたので、早期退職という形で会社を去りました。もともと苦手な職場だったし、同僚とは交流もなかったので、私が辞めたことに気づかなかった人もいたようです。
ニールとは今も連絡をとっています。暖かい州に引越しし、そこでも動物の保護活動を続けています。私が日本の大学院に申請する時は、推薦状を書いて送ってくれました。
日本での会社は中国系で上司が社長の小さな会社でした。今までにいないタイプの上司でしたが、私の働き方は変わらず、でも彼女とはうまくコミュニケーションが取れませんでした。
ほかにもいろいろな上司や同僚と働きましたが、あまり好かれることなく、うまくいかなかったことも多かったので、より上記3人の上司が特別なように思えるのでしょう。私なりの特別な思い出もあったので、シェアさせてもらいました。
ここまでお読みありがとうございました。