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学生ビザ→就労ビザ→永住権 - 私が米国市民になった理由 #004

今回は米国市民になった経緯とその理由についてお話しします。

滞在予定はフォーエバー…

私は語学学校の学生として、学生ビザ(F1)で入国しました。留学生は短期滞在を前提としますので、最長で5年の期限でした。

留学ではなく移住したいと思っていた私は、申請書の滞在予定期間に「フォーエバー」などと回答してしまい、当然のごとく学生ビザの発給を拒否されました。

郵便で届いた拒否理由に「最近は結婚目的で入国する女性が増え、貴殿もその可能性があるとみなします…」というようなことが書いてありました。

この時、31歳。独身。フリーランスで仕事をしていた私は、留学間近に仕事をたたみ、アパートも引き払い、あとは出発するだけの態勢でした。

アメリカにしたら、私は単なる留学生ではなく、アメリカで婚活する肉食系女子「ミス・フォーエバー」に見えたに違いありません。

学生ビザの再申請は最初の申請よりも念入りにしないといけません。再申請に失敗したら今度は「日本で無職フォーエバー」になってしまいます。

仕事関係に弁護士はいないかと相談したところ、著名な国際弁護士を紹介してもらいました。「私は移民弁護士ではないけど」と渋々引き受けてくださいましたが、素晴らしい手腕で提出書類を用意してくれました。

細かい内容はあえて伏せますが、用意周到な書類の準備のしかたは、その後、就労ビザ、永住権を申請する際にも役に立ちました。感謝しています。

高卒の就労ビザは手続きが煩雑…

アメリカ上陸から1年、マンハッタンの日系企業に正社員として採用されました。

学生ビザから就労ビザの移行は、通常簡単な手続きのはずですが、私の場合はやや複雑なケースでした。就労ビザ(H1-b)は高度な知識や技術を要する仕事に対し発給されるビザで、基本的に大学卒業が要件となります。ただし、就労経験がある人は、3年の仕事経験を大学1年分とカウントし、職歴12年で大卒とみなされました。

高卒だった私は、今まで勤めた会社とフリーランスでの取引先に、在職証明を依頼しなくてはいけません。この在籍年数が12年以上であることも確認しないといけません。転職もしたし、フリーランス時代もあって、在籍証明を集めるのには苦労しましたが、どの会社も快く支援してくれました。

こうした手続きはインターネットのある今だったら簡単にできるのかも知れませんが、全て国際郵便でやりとりするのですから、時間も費用もかかり大変でした。

就労ビザに関しては、さほど苦労した記憶がないことから、依頼した移民弁護士がうまくやってくれたんだと思います。就労ビザは3年が期限ですが、さらに3年延長できますので合計6年となります。このビザは就労先に帰属するので、退職をするとビザは失効します。

長い長い長い… 永住権申請はひたすら待つ…

就労ビザの申請とともに永住権の申請も始めました。就労ビザと違い、永住権は手続きが煩雑なのです。私の場合、永住権は結婚とは異なり、就労がベースとなった永住権となります。労働局と移民局2ヶ所への申請が必要となり、さらに私と同じ技能を持ったアメリカ人が不在の場合だけ発給の手続きが進みます。同じ技能のアメリカ人を探すために、「ニューヨークタイムズ紙」の求人欄で募集しなければなりません。そこで私がアメリカ人より優秀であると雇用主が証明すればいいのです。この求人欄の文言は労働局から送られます。通常求人は多くても10行程度ですが、私の場合は30行以上になったと思います。広告を出した結果、たくさんの応募が来てしまいました。

私に永住権を発給させたい思いで、雇用主だった社長は応募者を面接もせず、不採用通知を送りました。これが労働局の知るところとなり、もう一度求人しなくてはならなくなりました。

ニューヨークタイムズ紙の求人広告は高額で1行数万円だったと思います。おそらく数十万、かかったのではないでしょうか。しかも2回分(涙

学生ビザや就労ビザは申請から発給まで1〜2ヶ月でしたが、永住権は5年かかりました。進捗状況など知るすべもなく、ただ待つだけでした。就労ビザ同様、会社を辞めるわけにはいかず、同僚との人間関係がうまくいかなかった時期は、本当に苦しみました。

何度も永住権をあきらめて日本に帰ろうかと思いました。心療内科に通ったこともありますし、私は覚えていないのですが、泣きながら日本の友人に電話したこともあったそうです。

今思えば、永住権を待っていた5年が、一生で一番長い5年だったと思います。

就労ビザの最終面接はカナダにあるアメリカ大使館で行われましたが、永住権の最終面接は日本に帰国しなければなりませんでした。そこで、私以外の2人の永住権申請者に出会い、自分との境遇の違いに驚きました。

一人は結婚しての永住権を申請した女性。ご主人が用意した書類に不備が見つかり、再面接となってしまいました。大使館の公衆電話からアメリカのご主人に「なにやってんのよ!」と怒鳴っていたのを今でも覚えています。もう一人はロトで当選した女性。かつて、永住権はロトで当選するケースが多かったようです。ハガキ1000枚ほど投函すると一人1〜2通は永住権が当選したという時代があったそうです。私がアメリカに来た時は、一人一通だけの応募でしたので、その人はラッキーな方でした。私も応募していましたから。

永住権の面接を終え、承認書類を待つ間、町をぶらぶら歩いていると、占い師をしているという女性に呼び止められました。「ぜひ手相が見たい」というのです。私に「真心眼」が見えたそうです。「興味深い。今日何かありましたか」と手相を見ながらその人は言いました。その後どう会話を続けたか覚えていませんが、今、私にマシンガンはあるのでしょうか。その女性の連絡先を聞いておけばよかったです

いよいよアメリカ市民権

永住権を5年間保持すると、市民権を申請することができます。市民権を取得するには試験と面接があり、その申請は、今までのどのビザよりもシンプルで簡単でした。

就労ビザと永住権だけで50万円近く弁護士に支払ったと思います。申請費用、広告費、旅費などを加算したら、もっとかかったのではないでしょうか。25年以上も前の話です。今はどうなのでしょう。

市民権の申請で、移民局のオフィスに2度行き、書類を提出したり、指紋を取ったりと手続きは簡単でした。もちろん弁護士は雇いません。最後の関門である試験と面接を受け、同日に結果がわかります。試験はアメリカの政治・歴史の筆記試験。「アメリカの副大統領は誰」というような質問と、「仕事はなにをしていますか」といったたぐいの質問の面接です。「青い車を買った」と面接官が英語で言い、紙にその英文を書かされました。これもテストの一部でそうです。

つづいて宣誓式に参加し、大統領からの手紙と市民としての証書を裁判官から受け取ります。裁判官が「ここを出たらまずパスポートを作ってください。あなたが市民である証拠です。なくしても再発行できます」と言いました。

ビデオでブッシュ大統領(息子)のおめでとうメッセージを聞き、国歌を歌います。うろおぼえでしたので、口パクで歌いました。大きな声で歌う人もいて感心しました。式後、同伴の家族が会場に入り、写真を撮ったり、抱き合ったり、涙を流したり…

私も誰かと来ればよかったなと思いました。もらい泣きしました。

市民権は永住権と違って、更新する必要がない、選挙権が与えられるぐらいで、大きな違いがないように見えます。でも、大きな意味があることは、その会場にいる人の姿でわかると思います。軍役義務があるのも大きいですね。

私が市民権を取得したのは、在米12年目の出来事でした。

駆け足で市民権取得までの説明をしましたが、私がアメリカ市民権をとりたかった理由はシンプルです。私は普通にアメリカで生活したかったのです。

アメリカはすでに私にとっては自分の国。普通に朝起きて、仕事に行って、友だちに会って、家に帰って、寝るという生活をしたかったのです。日本人のアイデンティティのまま、アメリカに骨を埋まる選択をしたのです。

普通のアメリカ市民として生きていくことにこだわりがあり、永住権の更新などしたくなかったのでした。(実際に更新するのを忘れた永住者もいました)

なんとなくご理解いただけましたでしょうか。

アメリカ市民としての最初の勤めは投票で、バラク・オバマアメリカ初の黒人大統領になった選挙です。ボタン式システムで「ピロロン」と鳴る投票完了のチャイム音が、心臓に響きました。選挙に行くといつも気持ちが引き締まります。

今は日本で生活していますが、おそらく数年以内にアメリカに帰ることになると思います。

以上が私のアメリカ滞在ビザに関する経緯と体験でした。うろ覚えで描いた部分もあるし、有効期限や手続きなど、変更されている場合があると思います。ご了承ください。

ここまでお読みくださり、ありがとうございました。

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