旅するおばさん(ときどきノマド)

おばさん一人暮らしが気ままに時々一人旅するブログ

2022-08-22(暴力と変態の国で)自分を取り戻したら旅しよう

息するように平気で嘘つく政治家がニュースを見ると嫌悪感しかないけれど、私も結構な嘘つきだったと思う。

特に若い頃、学歴のことや家族のことを聞かれると、私は盛りに盛った。人に与えたい印象は「なんの苦労もしてこなかったお嬢様」。実際にはお嬢様ではないわけだから、仕草や言葉遣いでバレバレの嘘だったとは思う。

私はきちんと教育を受けていない両親に育てられた。言うことを聞かなければ暴力をふるっても良いと信じていて、なにかある毎に火花が飛ぶようなげんこつが飛んだ。

私が子どもの頃は、社会は体罰に寛容だったと思う。

ある日、クラス全員が担任教師に往復ビンタをくらったことがある。なにかの共同責任という罪だったと思う。父の拳に比べたら痛くも痒くもなかったが、クラスの女子が口をそろえて、「人に殴られたのは初めて」と泣いたので驚いた。親というのは子どもを殴るものだと思っていたからだ。

思春期になって親と口を利かなくなった。少し口答えをすると、父からの殴る殴る(蹴るはなかった)が繰り返された。それは長時間続き、気を失いかけたことが何度もある。母は何も言わなかった。そういう母も父に殴られていた。

父の口癖は「勉強しろ」。大学受験したが、「金がないから」と言われ、受かった大学には行かなかった。なんのために勉強していたのだろう、と虚しくなった。なんとかしてその大学に行こうとする知恵も気力もなかった。

両親が好きではないこと、大学に行かなかったことに、コンプレックスと罪悪感を抱いて生きてきた。親から離れ、自分が生きている価値を見出したいために、東京で働いた。

世はバブル。学歴も経歴も問わない会社に拾ってもらい、終電ぎりぎりまで働いた。電車に乗る度に痴漢に遭い、夜道を歩けば後ろから抱きつかれ、すれ違いざまに体を触られ、ベランダの物干しから下着が消え、職場では「女は〜」と言われた。

私の存在なんてそんなもの。不快極まりないが、「そうされてもしかたがない自分、こうしたイベントは声に出してもしかたがないと思っていた。

小学生の登校の朝、背後から走ってきた近所の男にスカートをめくられ、尻を触られたのが最初の被害。学校に行き、教室にいた教師にそのことを告げると、クラスメートが「嘘だ!」と笑いながら囃し立てた。教師の反応は覚えていない。

ふだん嘘をついていると、嘘つき呼ばわりされることに激しく抵抗してしまう。それ以降、近所の男につきまとわれても、誰に何も言わなかった。

面識のない上級生に首を絞められたことがあった。目撃した別の生徒が学校に報告し大問題になった。

(なぜこんな大ごとに…)、(私にはこんなこと日常茶飯事なのに…)、と思った。親には知られたくない。だって、また殴られるだろうから。

私は自己肯定感が低かったと思う。親に殴られても、見知らぬ男に触られても、したがない人生。自分の生きている価値が見出せなかった。

仕事で少しずつ力をつけても、私の働くフィールドは男ばかりだった。仕事の打ち合わせに私が登場すると「女の子が来た」と声に出して言う人もいた。

男の手の甲に浮かぶ血管が嫌いだ。大声で話す男も、大きなくしゃみも。父を思い出す。

日本では体型をいじられることも多かった。

初めてのニューヨーク旅行で、信号待ちをしている時、「あなた、すごく素敵」と声をかけられた。言われたことない言葉。気にしていた体型のことを言うと、「何言ってるの、それが美しいんじゃない」と言われた。

ニューヨークはもしかして私の探していた場所かもしれない、と思った。

ニューヨーク移住の入り口はこんな他愛のない出来事だが、実現するまで数年かかった。経済的な問題もあったが、周りの反対が大きかった。たいていは結婚が遅れるという、私にとってはどうでもいい理由だった。

「ニューヨークに行ってどうするの」。仕事関係の人から毎日のように言われ、私のイライラが積もりに積もったある日、今までになかった変態が登場した。夜の中央線の駅のトイレの背後から!

私の怒りは爆発した。大声を出しながら、その男を傘で殴った。殴られたことはあるが、人を殴った経験はない。スーツを着た赤ら顔の酔っぱらい。父親と同年代。殴っても私の力など男に及ばない。それでも男は腕をクロスして顔を庇った。

そうだ、子どもの頃の私も、こうして殴られていたんだ。

男の頭めがけて一撃をふるった。しかし、一瞬の迷いもあって、傘は変態男の肩に当たった。

トイレを出ると、私の声を聞きつけたであろうギャラリーが、あんぐり口を開けて立ちすくんでいた。まもなく二人の警官が現れ、変態は逮捕された。

帰宅した深夜、当時親しかった男に電話をした。「すごく怖かった」と訴えたものの、その男は眠たそうな声で、「その痴漢に尻は見られたのか」と聞いた。

トイレの変態も、しばらくして日常を取り戻しただろう。私には折れ曲がった傘と、深い傷が残った。

アメリカにも暴力や差別はある。だけど、アメリカは、日本で体験したような暴力と変態と遅れたジェンダー観から私を守ってくれた。私はアメリカで自分を取り戻せたように思う。「取り戻す」というのはふさわしくない。自分を見つけたというべきか。

時間はかかったが、大学を卒業し、大学院まで進んだ。大きな会社に転職し、老後に不安のない経済力もつけさせてもらった。

嫌いな両親に旅行をプレゼントした。その両親も今は鬼籍に入っている。最後まで許せなかったが、そうできなかった自分自身を許している。

60歳の今は日本で暮らしている。電車に乗ることも少なくなり、年齢的に痴漢に遭うこともなくなったと安心する日々。

 

今でも、私は嘘をつく。のんきに旅をしているおばさん。誰の金かわからないが、時々ぜいたくもしているらしい、旅するおばさん。のてい。