旅するおばさん

62歳一人暮らしが気ままに時々一人旅するブログ

2024-10-03 夢のナーシングホーム

 部屋の中で運動はしているけど、それでは足りないので外に出て歩くようにしている。スーパーは近すぎるので、少し先の図書館へ。CDを借りては翌日返すという日々がルーティンになりつつある。

 借りるのは主にシティーポップ。80年代の音楽を懐メロ扱いするのはなんだが、昔をあれこれ思い出して懐かしい。なにより口ずさみやすい。ピアノで弾き語りなどしてみようかとアマゾンで楽譜を買った。

 先日、数少ない日本語教師仲間に会ってランチした。こういう交流は私にとって大切な時間。公園を散歩して、私とは異なる生き方を学ぶ。通勤して、時間に拘束されて、人付き合いしながら働くこと。私にはもうできないけれど、新鮮な話を聞くのは楽しい。

 同じ日にアメリカの友人とライン電話で話をした。共通の知人がナーシングホームに入居してまもなく5年。久々に会いに行ったという。もともとあった認知症がさらに進んでいたということ。

 話を聞く限り、ホーム側は食事や掃除以外のサービスは乏しいそうだ。ゲームをしたり、外出したり、運動したりなどのアクティビティが行われている様子はなく、入居者はただ共有ルームでテレビを見ているだけ。

 もちろん、それは訪問側の主観で、実態ではないかもしれないが、友人から聞く限り、あまりにも入居している知人の状態が良くなくて、そう想像してしまう。

 田嶋陽子さんの『わたしリセット』という本を読んだ。都内の(おそらく高級)シニアハウスに入居されたとのこと。身綺麗な入居者、ワインを持ちこんでの夕食、楽しそうなおしゃべり… 自由に外出して仕事も趣味も楽しむ。友人のホームとはかなり待遇が違う。そりゃそうだ。友人のは公営ホームで入居者は低所得の認知症患者なのだから。

 現時点で私はシニアハウスもナーシングホームにも入居したくない。できれば一人暮らしで、週数回誰かが通ってくれて食事を作りおきしてくれたり、掃除洗濯をしてくれるのがいい。食事は人とする必要はないと思うし、たまに人と外で会って話すぐらいがいい。

 田嶋さんは、電話で言葉が出なくなったことがあり、それがきっかけで人里離れた場所に住むことに危機感を感じたそうだ。

 私は駅近の都会に住んで病院にもスーパーにも近い場所に住んでいる。誰かのサービスが必要だったら徒歩圏内に全て揃っている。

 一人暮らしができなくなったら。

 その時、考えればいいだけ。高級シニアホームは無理だろうけど、小綺麗で立地が便利な場所がいい。「パルテノン」とか「コロシアム」?とか、おもいっきしのカタカナ名がいい。スタッフも私服にエプロンじゃなくて、シュッとしたユニフォームで、部屋の窓からは、思いっきり中央線が走っているような風景がいい。

 介護が必要になったらとか、看護師が常駐しているとか、そこのところはまだ考えられない。まずは形から。今の私にはそれが大切。

 夢のナーシングホームの現在地は、今こんなところ。

 

2024-09-29 働く日曜日

 今日は働いた! 

 パートの非常勤講師とはいえ自由業なので、授業準備に平日も週末もない。

 火曜日から水曜日の朝3時間と木曜日の1時間の週10時間授業するだけなのに、授業準備はしっかりと時間を取らされる。

 木曜日の1時間が中途半端なので、もう少し授業を入れられないかとディレクターに相談したら、いろいろなアイデアを出してくれ、でも彼女の言う通りにすると労働時間が長くなりそうで、なんとか話の流れを自分のやりたい方向に持っていくようにした。

 来学期から始まる新しい授業の準備を始めることにした。実現するかどうかはまだ分からないが、シラバスを書いて教材を何点か提案することになっている。

 今日はいつもの運動の後、9時ごろから3時ごろまで一気に作業した。最近の私にしては長時間。やはり疲れる。でも仕事をしている時だけ、私は元気だ。

 自由業は昼寝もたっぷりする。5分ぐらいで昼ごはんを作って食べて。

 夕方、図書館に言って、一杯飲もうとサイゼリヤに行った。ワインとピザを頭に浮かべながら、席に着いたらスマホがないことに気がついた。財布は持っていたので直接注文はできたのだろうけど、なんとなくピザの気分じゃなくなって家に帰ってご飯を作った。

 漢字と英語と(今週から)スペイン語と歴史の勉強をして、久々にお風呂に浸かった。WOWOWにしてはクソくだらないドラマを見ながら、体は温まったけど、湯上がりは汗が吹き出して始末に困った。冷たい水がおいしい。

 明日は友達と会ってランチする予定。その後、足爪の修理に行く。安いピアスと、行列のできる肉屋さんでメンチカツ買おう。

 

 

 

 

2024-09-28 衣替え

 まだ暑い日が続くとはいえ、9月もそろそろ終わり。衣替えをすることにした。

 小さなクロゼットなので、冬服はスーツケースの中。夏服と冬服を全てベッドの上に広げて、おそらくもう着ることのない服や、ときめかない服(コンマリメソッド)は、リサイクルに出すことにした。リサイクルに出す服は大きな紙袋2つ分になった。

 部屋を軽く掃除してから隣町へ。ユニクロのついでにタイ料理のお店に行こう。カオマンガイが食べたい。リサイクルボックスに服を入れて、化粧品店や雑貨屋を覗きながら、レストランの開店時間まで時間を潰した。なのに…

 店のドアには「今日は開店時間を変更します」の貼り紙があった。この界隈ではおいしいタイ料理店ではあるけれど、ニューヨークのタイ料理屋を思い出した。ニューヨークは桁違いにおいしさが違う。バンコクで食べたのより、美味しかった。(きっとバンコクの方が本格的なのだろうけど)

 朝から口がカオマンガイだったけど、寿司にスイッチした。そして回転寿司にログイン。汗だくで衣替えしたのと、水分をとっていなかったから、冷たいビールが美味しかった。

 思えば、ニューヨークは、寿司も美味しかった。ラーメンも美味しかったし、スーパーで売られているカリフォルニア米も抜群に美味しかった。アメリカは食べ物がおいしいというと驚く人が多い。でも、日本食をはじめ、いろんな国の食べ物がおいしかった。

 急に懐かしくなって、悪態をついてしまった。日本もいろいろおいしいけどね(と付け加えておく)

2024-09-27 睡眠のせいじゃなくて

  ブランコに乗っているような気持ちの揺れ。不安になってクリニックに予約を取った。睡眠障害で処方箋を出してもらっている通い慣れたところ。

 バスに乗って行く隣町なので、アポの前に買い物や映画の予定も立てた。映画は、好きな作家の作品が原作。登場人物が小説のまんまで小説の世界観がよく現れていたのだけど、途中で寝てしまった。><

 ストーリーはすでに分かっているので、眠っている分はなんのギャップにはならなかったけどちょっと残念だった。

 クリニックはいまだかつてないほどの混雑ぶりで、予約時間より30分以上待たされた。事前のアンケートに時間をかけて回答したのだけど、医者は話を聞くわけでもなく、「睡眠が原因」と言い切って、すぐに処方箋を書き始めた。質問しかけても「睡眠睡眠」と繰り返す。どうしてもっと話を聞いてくれないのかな。なんとなくだけど、医者の方が治療が必要なのかもと思った。

 整形外科でもそうだった。リハビリはしているし、運動もかかさずやってるけど、夜中に痛みで目が醒めることがあると言ったら、見ることも触ることもなく、「MRIを撮りましょう」で終わってしまった。日本の医者は忙しいんやね。

 どうしようもなくて、病院に行ったのだけど、もしこれがアメリカだったら我慢するレベルだろうなと思う。治療費が高すぎて、気軽に行けたもんじゃないから。

 命に関わるわけじゃないし、しばらく医者に行くのはやめようと誓った今日の私。 

2024-09-26 この充実感は

 嫌なことが立て続きに起こった1週間だったが、7クラスのうち、明日1クラスを残して、6クラス全てが最高に楽しくて、充実した授業になった。

 手前味噌だが、いい授業だったと思うし、生徒の顔を見るだけで幸せな気持ちになった。なによりも成長が著しい。ここまで話せるようになったのかと驚く。ハンドライティングが外国人っぽくない! 私よりも上手な字を書く人もいる。

 非漢字圏の日本語学習者が、まじめに宿題をし、漢字を書き、クラスで発言し、どんどん質問して。もともと楽しいクラスだとは思っていたが、6クラスが揃ってこうなるのが驚いた。

  たまたま送られてきた前学期のアンケート結果もすこぶる良く、ここまで褒められていいのだろうかと天にも舞い上がるような気持ちだ。

 不愉快な言動をかけられたのは、生徒からではないし、そういう人柄だとわかっている人からなので、むかつくけれど傷は浅い。

 

 こうしたウキウキ気分は、あっさり裏切られることはよくある。ダンスする気持ちを落ち着かせる。

 この充実感はどこからきているのだろう。普段は鬱だけど、もしかすると、ただの躁からくる高揚感なのかもしれない。

 今週は、授業前は、すごくわくわくした。その前の教材を作っている時から、「これは面白い授業になりそうだ」と予感がしたからだ。そして、その予感は的中した。

 これが躁状態だからというのであれば心配ではあるけれど、鬱でも授業は楽しいし、しっかり準備もできる。

 明日のクラスは、ずーっと前から楽しくない。全く別の学校で、生徒や教材にも、まだ慣れていない。アゲアゲの精神状態でも、楽しくないだろう。しらんけど。やめようと思ったけど、もうしばらく様子を見る。

 鬱の時は、あまりいい判断ができなさそうだし。

 クリニックに行ってみようかな。

2024-09-24 週7シャンプー

 ネトフリを見ている間にかなり短く髪を切られてしまった。

 「松たか子で」。

 やや無理な注文だったとは思うが、松たか子というより、高校の柔道部員である。かなり短い。高校生の私だったら、ぜったい号泣しているところだが、いずれ伸びるだろうし、誰の目も気にならないし、還暦越えの私はぜんぜん平気である。

 週7でシャンプーする私には、この短さはむしろありがたい。ちゃっちゃと洗ってパッパと乾かすことができる。

 週○回というように、頻度を表す日本語を教える時、「1週間に何回髪を洗いますか」と質問して練習させることがある。週7回シャンプーするので毎日と言うのだが、生徒のほとんどが毎日シャンプーしていないと知った時はさすがに驚いた。

 自分が毎日洗うからといって、他人も毎日洗うと思い込んでいた自分が怖い。だが1日洗わないだけで、髪が重くなったり、頭皮が痒くなったり、なんとなく臭ったりするような感じがする私は、1週間に1回という答えにはいろいろな質問を投げかけたくなる。

 映画「バックトゥザフューチャー」の中で、1950年代の女子高校生(主人公のお母さん)が「今日は髪を洗う日なの」というシーンがあった。シャンプーが今よりも特別な行為だった時代があった。

 たしかに小学校の時は、今より低い頻度でシャンプーしていたと思う。同級生の肩にはいつもフケが積もっていたのも記憶に残っている。

 いつから毎日シャンプーするようになったのだろうか。朝シャンという言葉が流行ったころから? 薬師丸ひろ子が「チャンリンシャン」とCMしていた時から? 

 毎日洗っても、傷まないシャンプーになったのは、いつごろなのだろうか。

 話は飛ぶが、洗濯機の真ん中にうず高くシャボンの塊が回っていた時代があった。今、洗濯機の中で泡をほとんど見かけない。それをウリにしたCMもあって、花王だったかライオンだったかに、葉書を送ったことがある。「泡がないのにきちんと洗えるの?」。小学生だったと思う。洗剤のサンプルと一緒に、丁寧な返事が送られてきた。回答の内容は覚えていない。

 話をシャンプーに戻す。旅先のホテルで使ったシャンプー、コンディショナー、そしてボディーソープが気に入って、同じ商品をお取り寄せした。1点10リットルの業者買いである。一人暮らしだから減らない。あと4〜5年は持つだろう。洗面所に積まれた段ボールの箱が悩ましい。

 毎日シャンプーは、続けなければいけないのである。

 

 

2024-09-22 あの喫茶店

 私の街には本屋と文具店が多い。

 そして、ゲームセンターやパチンコ店がほとんどない(ないことはないらしい)。

 それは、この街が大学や高校が集中している文教地区だからだと思う。

 街を行き交う学生たちは、品行方正で、ぶっ飛んでいる若者に出会うことはあまりない。高い教育を受けてきただろうし、良家の子女も多いのではと想像するのだが、全体的に清貧で慎ましい印象を受ける。

 古くからある喫茶店がリニューアル工事を始めて1年以上経つ。最近、ブルーシートが外され、コンクリート剥き出しの内部が現れた。完成が近いことを感じさせる。

 美味しい洋菓子を売りにした昭和を感じる旧店舗が好きだった。新店舗がどのような変貌をとげるのか、街の住民も同じ気持ちで見届けていることだろう。

 「卒業までに完成するかな」。工事現場の前を通りかかった時、後ろから大学生らの声が聞こえた。

 「卒業式のあとは、ここでケーキを腹いっぱい食べたい」。
 「ショーケースの端から端まで全部くださいって言いたい」。

 なんとも可愛らしい、純な希望なんだろう。令和時代に大学生活を送った青少年の青春の一コマに、昭和の喫茶店が刻まれている。

 散歩コースに大学のキャンパスを歩くことがある。木々に囲まれた古い校舎、時々学生に紛れて食堂や図書館で時間を過ごしたこともあるし、学園祭にもよく顔を出した。

 コロナ禍で校門が閉ざされ、しばらく足が遠のいてしまっていた。

 彼らが卒業するまでに、あの喫茶店ができますように。穏やかな日々が続きますように。