部屋の中で運動はしているけど、それでは足りないので外に出て歩くようにしている。スーパーは近すぎるので、少し先の図書館へ。CDを借りては翌日返すという日々がルーティンになりつつある。
借りるのは主にシティーポップ。80年代の音楽を懐メロ扱いするのはなんだが、昔をあれこれ思い出して懐かしい。なにより口ずさみやすい。ピアノで弾き語りなどしてみようかとアマゾンで楽譜を買った。
先日、数少ない日本語教師仲間に会ってランチした。こういう交流は私にとって大切な時間。公園を散歩して、私とは異なる生き方を学ぶ。通勤して、時間に拘束されて、人付き合いしながら働くこと。私にはもうできないけれど、新鮮な話を聞くのは楽しい。
同じ日にアメリカの友人とライン電話で話をした。共通の知人がナーシングホームに入居してまもなく5年。久々に会いに行ったという。もともとあった認知症がさらに進んでいたということ。
話を聞く限り、ホーム側は食事や掃除以外のサービスは乏しいそうだ。ゲームをしたり、外出したり、運動したりなどのアクティビティが行われている様子はなく、入居者はただ共有ルームでテレビを見ているだけ。
もちろん、それは訪問側の主観で、実態ではないかもしれないが、友人から聞く限り、あまりにも入居している知人の状態が良くなくて、そう想像してしまう。
田嶋陽子さんの『わたしリセット』という本を読んだ。都内の(おそらく高級)シニアハウスに入居されたとのこと。身綺麗な入居者、ワインを持ちこんでの夕食、楽しそうなおしゃべり… 自由に外出して仕事も趣味も楽しむ。友人のホームとはかなり待遇が違う。そりゃそうだ。友人のは公営ホームで入居者は低所得の認知症患者なのだから。
現時点で私はシニアハウスもナーシングホームにも入居したくない。できれば一人暮らしで、週数回誰かが通ってくれて食事を作りおきしてくれたり、掃除洗濯をしてくれるのがいい。食事は人とする必要はないと思うし、たまに人と外で会って話すぐらいがいい。
田嶋さんは、電話で言葉が出なくなったことがあり、それがきっかけで人里離れた場所に住むことに危機感を感じたそうだ。
私は駅近の都会に住んで病院にもスーパーにも近い場所に住んでいる。誰かのサービスが必要だったら徒歩圏内に全て揃っている。
一人暮らしができなくなったら。
その時、考えればいいだけ。高級シニアホームは無理だろうけど、小綺麗で立地が便利な場所がいい。「パルテノン」とか「コロシアム」?とか、おもいっきしのカタカナ名がいい。スタッフも私服にエプロンじゃなくて、シュッとしたユニフォームで、部屋の窓からは、思いっきり中央線が走っているような風景がいい。
介護が必要になったらとか、看護師が常駐しているとか、そこのところはまだ考えられない。まずは形から。今の私にはそれが大切。
夢のナーシングホームの現在地は、今こんなところ。